11月24,25日公演予定のオリジナルミュージカル『春のホタル』は、北区のとある小学校で実際にあった先生と児童の葛藤、そして地域との交流や体験から育まれた子どもたちの成長の過程がベースとなっています。
 時を経て、ミュージカルとして生まれ変わった人々の想いや福島潟の歴史を深く知り、もっと楽しむためにコラムを連載します。どうぞみなさまも『春のホタル』の世界をお楽しみください。
                                                (文責:団長)
 ミュージカルの舞台となった場所・歴史・自然
  1.福島潟の自然
  2.太田小学校の取組み
  3.干拓の歴史
  4.ホタルについて

 登場人物のモチーフとなった人たち
  5.ねっとわーく福島潟(松木保さん:郷土史研究家)
  6.宮尾農園(宮尾浩史さん:自然農法の農家)
  7.良寛さま
  8.塩原昭夫(原作者)

登場人物のモチーフとなった人たち

良寛さま》
 ミュージカルの第二幕は、みどり小学校の子どもたちによる田植え歌から始まります。この歌は新潟県出身の僧侶・歌人である良寛さまの短歌や詩からとられており、激しいダンスや歌を織り交ぜた楽しい構成となっています。
 
 良寛さまは、1758年に新潟県三島郡出雲崎町の名士の家に生まれました。18歳での出家後、玉島(岡山県倉敷市)の円通寺の国仙和尚に師事し、やがて諸国を廻る旅を始めます。無欲恬淡な性格で生涯寺を持ちませんでしたが、諸民に信頼されよく教化に努めたといわれています。
 良寛さまは、「子供の純真な心こそが誠の仏の心」と解釈し、子どもたちと遊ぶことを好み、かくれんぼや手毬をついたりして良く遊んだことは有名ですね。
 その後48歳の時、新潟県燕市国上山国上寺の五合庵に戻り、61歳の時、乙子神社境内の草庵に、70歳の時、長岡市島崎の木村元右衛門邸内にそれぞれ住んでいたことが分かっています。
 良寛さまの和歌は、死後『蓮の露』として弟子の貞心尼によってまとめられましたが、詠んだ年代や場所などの履歴が少なく、また良寛を名乗る本人以外の作品(別人歌と呼ばれる)や他者の作品の一部を読み替えた(本歌取りなど)も多く、研究者泣かせの一面もあります。

 ミュージカルで歌われる和歌や詩の内容について、全国良寛会会長の長谷川義明さんに話を聞きました。


全国良寛会会長の長谷川義明さん


苗々と わが呼ぶ声は山こえて 谷のすそこえ 越後田植えのうた

「苗、苗と私の呼ぶ声は、山を越えて、谷裾を越えて響き渡るよ 越後の田植えの歌」

 良寛研究者の峯村文人氏によれば、この歌は石川県鹿島郡田植え唄だそうで、文献によっては別人歌とされることもあります。新潟平野には山や谷がほとんどありませんので、田植え唄の響き渡る様子はイメージしにくいのですが、遥か過去に行われていた集落総出で行う田植えには、このような明快で希望に満ちたリズム感のある唄が似合いますね。

早苗とる 山田の小田の 乙女子が うちあぐる唄の 声のはるけさ
「稲の苗を手に持って、山の間の田に植える娘たちが、声を高くして歌う田植え唄の声が、はるか遠くにまで聞こえることだ。」

 以前の田植えは女性たちによることが多かったのでしょうか。水が張られた水田に映る娘たちと声高な歌声が、里山や棚田を超えて遠く良寛さまの耳にまで届いたのでしょうか?
 雪国にとって、長い冬から解放され一斉に命が芽吹く春は、それだけでも心弾むもの。娘たちの声と春のうれしさが重なるような唄ですね。

ひさかたの 雨も降らなむ あしびきの 山田の苗の かくるるまでに
「何とかして、雨が降ってほしい。山の間の田に植えた稲の苗が、水にかくれるまでに。」
 
 灌漑施設が発達していない江戸時代には、十分な水を安定して確保することが難しい地域も多かったのではないかと思われます。田植え後から稲が根付くまでの間は特に水が必要な時期、当時は空を見上げ、天に祈る他方法が無かったかもしれません。
 またこれは山田の稲ばかりではなく、一人ひとりの想いがなんとかして叶ってほしいという良寛さまのやさしい気持ちが詠まれた唄かもしれませんね。

手もたゆく 植うる山田の 乙女子が 唄の声さへ やや哀れなり
「手も疲れてだるそうに、山の間の田に稲の苗を植える娘たちが田植え唄を歌う声まで、ひどくかわいそうだ。」

 この唄は、良寛さまが亡くなる前の年、文政十三年(1830年)の作といわれており、前出の「ひさかたの〜」とは連記の歌となっています。これまでの唄とは一転して、農作業の大変さや深刻さを表した唄となっており、晩年の良寛さまの枯淡で哀愁に満ちたおもむきがあります。

 ミュージカルでは、大人も子どもも歌い、踊り、田植えを表現します。躍動する役者さん、それを支えるすてきな楽曲をお楽しみください。


***** 《ご紹介》 *****

「ふるまち良寛てまり庵」について
 新潟市中心部の古町通2番町に、モダン和風な構えを持つ無料休憩所「ふるまち良寛手まり庵」があります。ここでは毎週水曜日を除いて良寛さまの研究者や愛好家たちが業績や作品を紹介する取組みを行っています。

 良寛さまの作品のレプリカが定期的に入れ替えられており、顔を出すたびに違った発見がありそうです。子ども向けには紙芝居などが用意されており、退屈することはありません。
 近年「かみふる」には新しいお店も次々とオープンしておりますので、ぶらっと街歩きがてらのぞいてみてはいかがでしょうか。 
ホームページ : http://www.kokodo.co.jp/ryokankai/temarian/index.htm


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